希望と野心に燃えるピーター青年が、シカゴ芸術学院そしてアメリカンアートアカデミーを卒業しニューヨークに出てきたのは、折しも世界恐慌の風が吹き荒れる真っ只中でした。インフレに苦しむ人々の間では、ファインアートに親しみ鑑賞して蒐集するような余裕はありませんでした。
そこで、ピーターは考えます。「芸術を表現するのに、高い素材を使わなきゃいけないなんてことはないんだ…」と。彼は身の回りにある生活用品、およそ今までの芸術家がその表面に絵を描こうとも思わなかった素材に絵を描き始めたのです。
1970年に行われたインタビューで、彼は当時を振り返ってこう語っています。
「その頃の僕は、目に入ってきたものなら何にでも片っ端から絵を描いたんだ!ほんの小さなマッチ箱から、新しいもの古いもの問わずね。何にでもさ…」
そうした彼の作品は仲買人を通して売り出され、次第にメーシーズやスローンズといった大手の百貨店でも知られるようになっていきました。良好に敏感なニューヨーカーたちには、どこにでもあるような普通のヤカンやホーロー引きの水差し、ちりとりやトレイに描かれた生き生きしたデザインが斬新に映ったようです。
彼はニューヨークを拠点にしながらもニューイングランド地方を良く旅するようになりました。今までのようなありきたりなものではなく、機能的でかつ彼の眼鏡にかなうユニークなアンティークを探すために…。このとき、アンティークの素材にユニークなパターンを描き、さらにアンティーク加工を施すという彼のこだわり抜いたスタイルが誕生したのです。
一つの作品に費やす時間はまるまる二週間、その工程は十九にも及びます。
しかし、彼がアンティーキングにどんなメディウムを使って、彼独特の風合いを出していたのかはいまだに謎なのです。インタビューでこの質問を受けたピーターはこう答えました。「別にたいしたことじゃない。ひたすら作業に打ち込み、辛抱強くしていることだね…」丁寧にニスをかけサンディングをし、同じ作業を繰り返し行った結果が豊かな色合いに独特の風合いを生み出すのです。[続き]